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【 元自衛隊幕僚長の会の質問に対する複数の読者による回答】

1. ファントム2機の追尾について

(1) ファントム2機が藤枝市上空でしかも低高度で目撃されたと述べています。

そこから飛行高度は1000mと想定していますが、その根拠は何ですか。

 

➡青山氏の著作、“日航123便 墜落の新事実 目撃証言から真相に迫る”のp.106に「目撃者たちの見た高度は、群馬の山々の稜線から見て千メートルちょっとの低さであろう」とあります。山々の高さを考えれば、およそ1000mの根拠が示されています。

 

その際、ファントム機の発進基地はどこで、発進命令はいつですか。

 

➡チャンネルくららの”日航機墜落事故陰謀論は、名誉毀損級のデマ!小川清史客員研究員・元陸将【救国シンクタンク研究員所見】”の動画 の4分あたりで、小川元陸将が当時ファントムのパイロットであった元航空自衛官の証言を紹介しています。その航空自衛官は「飛び上がって(発進して)日航機を見て確認した。しかし無線の周波数が違うので日航機と交信はできない。射撃は絶対にしていない」と言われたとのことです。小川元陸将が紹介した航空自衛官の話が事実であれば、少なくとも1機のファントム戦闘機がスクランブル発進をして123便を墜落現場まで追尾していたと解釈できます。
➡小川元陸将によると当時、武装したF-4ファントム戦闘機は小牧基地と百里基地に4機ずつ配備されていたとのことです。

“日航123便 墜落の新事実 目撃証言から真相に迫る”のp.100で、藤枝市内で123便と追尾するファントム2機を目撃した小林さんによると、ファントム2機は18時35分頃に目撃しており浜松方向(つまり藤枝から見て西の方角)から飛んできたとのこと。ファントム2機は、123便が緊急救難信号(スコーク7700)を出した18時24分直後に藤枝市から約130km西にある小牧基地から発進したと考えると時間的に辻褄が合います。

➡無線の周波数に関しては、1983年の大韓航空狙撃事件の際に、ソ連と大韓航空のやり取りを自衛隊が傍受しております。ソ連機から民間機への問いかけのやりとりが外務省の開示記録として残っています。(現在外務省が公開中)。

➡領空侵犯と不明機用に、国境を越えた民間機と交信ができる無線が、自衛隊のスクランブル発進機にも備えてあります。詳細は青山氏の「隠された遺体」75ページにも詳細に書いてあります。

 

(3) ファントム機と日航機が会話したといいますが、その方法は何ですか。目視ですか、無線交信記録はありますか。

 

➡小川元陸将は前述の動画で、ファントム機と日航機は無線の周波数が異なるために交信ができなかったと言われていますが、スクランブル発進のファントム機には民間航空機の領空侵犯や不明機との交信ができる無線が搭載されています。その有無を確認するためにも、青山氏は一つの仮説を立ててあるのであって、だからこそ、わざわざご遺族の要望に応えて情報開示裁判を行ったのです。自衛隊も不満ならば、一緒に情報開示裁判をすればいいでしょう。

 

(4) ファントム機が上野村に先回りしたと書いていますが、その根拠は何ですか。

つまりどうして操縦不能の日航機の行く先を知っていたのでしょうか。

 

➡”日航123便 墜落の新事実 目撃証言から真相に迫る”のp107をご覧ください。

群馬県警察本部発行の昭和六十年十月号『上毛警友』によると、実家に不幸があり吾妻郡東村に帰省中の現職自衛隊員(当時)M.K氏が十八時四十分に二機の自衛隊ファントム機(F-4EJ)を目撃したとあります。

現役の自衛隊員による目撃情報は、公式記録として裁判所も認めた証拠です。二機のファントム機が上野村に先回りしたかどうかではなく事実からみることです。その事実とは、墜落前に墜落現場に近い東村で目撃されていたことは事実です。

 

2. 自衛隊の演習と捜索救助活動について

(1) 相模湾で自衛隊はミサイル発射訓練や演習が可能なのでしょうか。

 

➡この点においてあらゆる可能性を探るべきと考えます。ミサイル発射訓練や演習以外で、何らかの飛翔体を飛ばして試運転中のまつゆきのレーダー性能試験をしていた可能性もあるでしょう。飛翔体は自衛隊機でなければ米軍機から発射された可能性もあるでしょう。また1985年8月5日~14日に、海上自衛隊と米軍が小規模訓練を実施しており訓練区域が「横須賀、呉、鹿児島及び佐世保を通ずる海域」となっています。日本側から2隻(しらね、むらくも)、アメリカ側から1隻(ブルーリッジ)の艦艇が参加しており、訓練内容としては「戦術連動訓練」とされています。

➡青山氏の今発売中の新刊本「40年の真実」で取り上げている「リムパック86」のような可能性もあるでしょう。こちらもお読みください。

 

(2) 山懐から見る景色は視界が限られています。あの山の向こうという目撃情報で特定の位置が分かるのでしょうか。

 

➡どの著書のどの部分でしょうか?そういうことは書かれていません。山懐から見えた情報で位置を特定したという目撃情報はないと思います。

 

(3) 暗闇で、道もない、地形も定かでない深い山奥に、空と地上から大量の救助隊員を迅速に送り込むことは、今振り返っても可能だと思いますか。

 

➡可能だと思いますか、という質問の仕方がおかしいと思います。

例えば、大量の救助隊員を送り込むことは難しくても、少なくとも少数の人員をヘリから降下させて現場の状況確認する可能性はあります。元自衛官の証言については、青山氏の新刊本「40年の真実」をお読みください。

米空軍C-130に搭乗していたマイケル・アントヌッチ元中尉および他2名の方は、座間基地所属の米陸軍ヘリUH-1から2名の隊員を降下させる直前で帰還命令が出たと証言しています。

 

(4) 自衛隊の行動はすべて指揮命令に従い、物資や車両の輸送も記録されますが、記録に残さず勝手に行動できると思いますか。

 

➡この質問もおかしな質問です。「勝手に出来ると思いますか」は、質問と言えるものではありません。

墜落当時の自衛隊に対する国民感情を考慮すると、もし自衛隊の存続に関わるような大問題が発生したのであれば、記録が正確にされなかった可能性があるというのが逆に常識だと思います。実際に、外務省公文書では、米国側に日航123便に関する資料のうち、安全保障にかかわる部分は、開示延期を申し出ています。ご自分で調査すべきでしょう。

 

(5) 習志野第一空挺団で事故当日に災害派遣準備命令が出て、大型ヘリのエンジンを始動したが翌朝まで待機させられた、というその根拠は何ですか。

 

➡日航123便 墜落の新事実 目撃証言から真相に迫る”のp134をご覧ください。この証言は出版社に来られた元自衛官等によるものです。

➡現在発売中の新刊本「40年の真実」において、上官による圧力を告発した元自衛官らの、「声なき声」が掲載中です。これらを否定するあなたがたには根拠はありません。自分たちはやっていない、自分はしていないというのは、その後に出世した方々ばかりだと思われますが、いかがですか。

 

3. 米軍の救援について

米軍に取材した女性記者のノートには、米軍としての限界が示されているのですが、どうしてわざと救援を断ったと判断したのですか。

 

➡この質問も変です。つまり、女性記者は墜落から僅か8日後の1985年8月20~23日に在日米軍を取材されていますが、米軍は当時、事実を公表できなかった可能性もあるでしょう。アントヌッチ氏は「隊員2名を降下させる直前に中止命令が出た」と証言しておりこの件について「他言無用」との命令を受けたとあります。1995年のテレビ朝日の取材に対して在日米軍首脳は匿名で「事故の当日、かなり早い段階で日本の自衛隊が我々の援助を断った」と回答しています。

➡アントヌッチ氏の手記は1995年8月27日に米国防省の準機関紙であるPacific Stars and Stripes紙に掲載され当時日本でも大きく報道されました。C-130に搭乗していたジョン・グリフィン氏とゲーリー・ブレイ氏もテレビ朝日のインタビューに応じています。アントヌッチ氏の手記やアントヌッチ氏を含む3名の元米軍人の証言に重大な誤りが含まれていたのであれば、なぜ、防衛庁および自衛隊は、ネタ元であるPacific Stars and Stripes紙やテレビ朝日に抗議して訂正を要求しなかったのでしょうか?防衛庁が訂正もしていないことこそが、逆に事実と言う証拠でしょう。

 

4. 火炎放射器について

(1) 現場には多数の人が入っています。タールの臭いがしたという言葉一つでどうして火炎放射器に結びつけられたのですか。

 

➡墜落現場において火力が高いゲル化ガソリンが使用された可能性が高いと考えられますが、その根拠については“日航123便墜落 遺物は真相を語る”に記述があります。

  • p.46をご覧ください。当時、検死にあたった医師たちが「筋肉や骨まで炭化し、二度焼きした形跡がある」という資料を残しています。

  • p.101をご覧ください。多くの遺体は裏側つまり反対側まで表と同じように焼けていました。連日の夕立で墜落現場の地面は湿っていましたが、湿った土に触れている部分まで焼けることはあり得るのでしょうか?

  • p.134をご覧ください。機体の遺物2点においてICP-MS分析では多量の硫黄の存在が明らかになっています。またGC-MS分析では多量のベンゼンが検出されています。

  • 現在発売中の新刊本「40年の真実」には、その道のプロである専門家が重大な部分をきちんと検証して証言しています。青山氏の研究資料は正しいとお墨付きを得ています。

(2) 御巣鷹山にどうやって隠密に迅速に火炎放射器を運び上げられたのでしょうか。

 

➡ヘリで上空から持ち込まれたのでしょう。住民が複数、ヘリから上げ下げする何かを目撃しています。こちらも新刊本に証言が出ていますので、お読みください。

上野村出身の国際ジャーナリスト松井道男氏によると上野村猟友会が早朝に群馬県警機動隊を現場案内する際に下山する3人の自衛隊員と遭遇しており、この3人は上野村を経由しておらずおそらくヘリで現場入りしたとのこと。また夜中に下山する自衛隊員らしき数十人の集団を上野村住民が目撃していたとの証言を得たが、数か月後に同じ人たちに聞くと「そんなものは見ていない」と証言を翻したとのことです。

(3) 仮に焼き払うとして、なぜブラックボックスを狙わなかったのでしょうか。「

 

➡こういう質問も愚かな質問です。事故調の研究資料の図を見ればすぐにわかります。

ブラックボックスは機体後部にあり、機体後部はスゲノ沢に落下しています。

真っ暗闇の中、当然のことながら、40度の勾配で滑落して木々に覆われているうえに、

機体中央部からは200mくらい離れており、当たり前に見つからなかったのでしょう。

 

5. 赤い物体・オレンジの物体について

(1) 三浦半島上空で乗客が収めた写真がもし向かってくる誘導ミサイルなら、なぜそこで日航機は撃墜されなかったのでしょうか。

 

➡火薬の反応がなかったと明記されているにもかかわらず、「異常外力着点」が明記されているところからも、非炸薬ミサイルあるいは無人標的機の可能性が疑われるのは当然でしょう。撃墜ではなく、偶然に飛行物体が衝突したということです。

 

(2) ミサイルが当たった場所はどうしてエンジンでなく垂直尾翼なのでしょうか。

➡ご自身で調査すればよいでしょう。

 

「異常外力着力点」は単なる数値解析上の作用点なのですが。

➡それは間違いです。全部のページをくまなくお読みになりましたか?

何度も、外力として書いており、作用点などと言う言葉は、元自衛隊のあなた方や、日航のパイロット仲間の方便にすぎません。

青山氏の新刊本には、垂直尾翼は密閉空間ではない、つまり風船のようなものではない、ということが整備士の証言から明確に書いています。

事故調査報告書どおり圧力隔壁破壊によって与圧空気が機体後部から噴出したのであれば、その反力の作用点はAPUがあった付近となります。

垂直尾翼中心部にはならないのです。これも専門家が証言しています。

 

(3) 機体下部に吸着するミサイルとは何でしょうか。ミサイルは吸着するのですか。

➡吸着とは書いてありません。下からみたら、そのように見えた、という証言です。

それを言葉尻だけとって、いかにも変なモノのように質問することこそが、恣意的です。つまり、目撃者の小林さんによると、機体のお腹付近に濃い赤色のだ円あるいは円筒形のような物体が吸着しているように見えたとのことです。

 

(4) ミサイルが垂直尾翼に接触し一部を破壊した、もう一つが付きまとい墜落現場まで行った。では、ミサイルは2つもあったのでしょうか。

➡ご自分で調査すればよいと思います。防衛庁(当時)の資料を自ら開示してもらってはどうでしょうか。

 

(5) 結局のところ、事故原因はミサイル被弾だとしていますが、どこから発射されたものですか。その根拠を教えてください。

 

➡青山氏は一つの仮説としてだしているだけあって、ミサイルと断定したわけではありません。もっとよく本を読んでください。繰り返しますがミサイル以外では無人標的機などあらゆる可能性を探るべきと考えておられます。

 

6. 事故背景についての青山殿の説について

(1) JA8119機材のJAL123便への機材繰りと高浜機長の勤務割を前もって自衛隊の演習と合わせる手法を教えてください。

 

➡それは、一つの仮説としてすでに「隠された遺体」や、今回の新刊本「40年の真実」に、日航内部のことを書いています。質問をする前に、それをお読みください。

➡過去の讀賣新聞によると、民間機を仮想標的とした自衛隊の訓練は過去に行われてきたという複数の航空各社の機長による証言があります。青山さんの「隠された遺体」の72ページをお読みください。

逆にお聞きしますが、これだけの証言を無視して、過去に遡って、そういった訓練は一切行われていなかったと、あなたがたが、なぜ断言できるのでしょうか?

 

(2) レーガン大統領から中曽根首相に宛てられた事故見舞いの親書に関して、なぜ外務省職員が書き加えたメモ書きだけから「事件」だと断言できるのでしょうか。

 

➡これは公文書であって、外務省職員のメモ書きだけから「事件」と断言したわけではありません。もっとよくお読みください。

これらの質問の仕方を見ていると、わざと意地悪な質問をして、自分たちを正当化したいのだと思われます。

 “日航123便墜落 圧力隔壁説をくつがえす”のp.11をご覧ください。当時発行された新聞各紙の紙面のどこにも「事件」という文字は見当たりませんが、一九八五年八月十四日、つまり墜落から二日後に、ロナルド・レーガン米国大統領から中曽根総理宛てに送られた書簡に外務省職員の「事件」という文字があったことは事実です。

 

(3) 断片的な目撃情報を推論の絶対的根拠とされていますが、ブラックボックスに記録された客観的データは信用できないのでしょうか。

 

➡これもまた、非常識な質問です。この事件だけ欠落部分が多数あるといっているのです。理解できないならば、簡単な図表が掲載されていますので、「隠された遺体」の100ページをご覧ください。今発売中の「40年の真実」にも、一般人にわかりやすく掲載しています。

➡通常の飛行機事故のボイスレコーダーはすべて公表されています。ところが、この日航123便だけ、相模湾上空で異常発生直後の3分12秒の空白がある、しかもその後一切のカンパニーラジオの記録も出ていない、という事実を伝えているのです。

➡情報開示裁判においても、弁護団は、出所のはっきりしないボイスレコーダーの音声は、一切証拠採用とならない、ということで答弁しており、それについてはJALも反論していません。

つまり、世に出回っているボイスレコーダーは編集されている疑いが濃厚で客観的とは言えません。裁判の証拠採用というのはそれぐらい厳格なのです。

そんなに不満ならば、吉備素子さんと一緒に、生の未編集のボイスレコーダーを公開するべきだ、と言いましょう。それを言わずして卑怯ではないでしょうか。

 

以上 青山透子氏の読者複数による回答を公開します。

 

当会としましても、青山氏が1944年からのすべての論文を読み解き、客観的証拠と証言をもとに、安全保障、日米公文書(英文も含む)、外務省公文書などをもとにして、一つの仮説を提示しているにもかかわらず、よく読みもせずに都合勝手な質問ばかりを投げかけて、さらに名誉棄損だと言い張ることは断じて許しがたく、厳重に抗議します。

あなた方の団体が徒党を組み、青山氏に寄せた元自衛官らの「声なき声」を否定する根拠はどこにもありません。

自分たちを守りたい気持ちはわかりますが、客観性を失い、感情論に走っています。

逆に、青山氏は東日本大震災の様子なども含めて、自衛官の行為に感謝の言葉を書いています。それにもかかわらず、しかも元公務員でありながら不用意に公民を煽って扇動することは許されることではありません。

公務員であった以上、国民の税金で生活してきた元自衛隊員として、遺族や青山氏に矛先を向けるのではなく、再調査と生データ開示を求める行動を、ぜひ自ら起こしてください。それこそが本当の信頼を得る行動です。

すべての答えは、現在発売中の「日航123便墜落事件ー40年の真実」に書いてあります。

どうぞお手に取ってお読みください。

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