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東京高等裁判所判決 
令和4年(ネ)
第4966号
ボイスレコーダー等開示請求控訴事件


主文
1本件控訴を棄却する
2控訴費用は控訴人の負担とする

裁判長
 土田 昭彦
裁判官 古谷 健二郎

裁判官     森岡 礼子

上のみ、わずか10秒に満たない判決だった。判決理由はすっ飛ばし、黒服の背中を見せてくるりと去っていく。この3人の姿と裁判長の短い声が、38年間隠し通してきた人々の代表のようであった。当裁判所の判断、判決理由の要点は次の通りである。
判決理由
1 原判決補正し、いくつかの箇所を加筆修正した。「控訴人は、ボイスレコーダーおよびフライトレコーダーの搭載は航空会社と乗客との間の安全運航契約の一内容になっていると主張するが、採用出来ない」
2 平成3年3月26日、東京地方裁判所昭和63年(ワ)第1074号事件につき、原告の一人として、被告であったザ:ボーイング:カンパニーおよび利害関係人であった被控訴人との間で、ザ・ボーイング・カンパニーおよび非控訴人が連帯して本件和解金として同事件の特定の原告らに対しそれぞれ特定の額の金員を支払い、同原告らは今後本件事故に関し、いかなる事情が生じても、ザ・ボーイング・カンパニーおよび被控訴人はもとより同社の役職員、代理人、関係会社、下請け会社および納入業者に対し、国内外問わず、日本法または外国法を理由として、裁判上裁判外で一切の異議を述べず、また何等かの請求をしないものとするなどの内容を含む訴訟上の和解をしている。
3 ボイスレコーダー等は特定の個人情報ではなく、秘匿性の高いものでも第三者に開示または公表されないことを欲する情報でもないから、本件調査報告書の公表を踏まえ、特段に事故情報コントロールにもとづき、開示を求める権利をするものではない。なお、ボイスレコーダー等の記録は、公文書にも該当しない。
4 運送約款にもとづく請求権も含め、本件事故に係る一切の請求権を消滅させる和解をしており、その後にもその権利は存在しない。従って本件和解後においても請求する権利はない。5 従ってその前提を欠くものであり、いずれも理由がないから、これを棄却することとして、主文通りに判決する。

以上

現在、最高裁へ上告手続きを行っております。なお、ご遺族の中で東京地方裁判所昭和63年(ワ)第1074号事件の和解内容を知りたいご遺族は、当会の問い合わせ欄に情報をお寄せください。三宅弘弁護士から詳細にご説明いたします。和解をした記憶がないかたもご連絡ください。
**********
判決日は6月1日(木)午後1時30分からとなります。皆さん、ご予定ください。東京高裁第二回口頭弁論期日の記事が掲載されました。墜落現場となった群馬県の上毛新聞記事(2023年4月21日付)「事故原因は後部圧力隔壁の破壊ではなく、垂直尾翼に異常な外力がかかった可能性があること」という主張を明記。38年もかかりましたが、ようやく世間に事実が伝わりました。

2023(令和5)年 東京高等裁判所 控訴情報

令和5年(ネ)第4966号ボイスレコーダー等開示請求控訴事件
控訴人  吉備素子
被控訴人 日本航空株式会社
 
第2回期日報告 
令和5年4月11日 16時~16時20分
裁判長 土田昭彦

裁判官 森岡礼子

裁判官 古谷健二郎 (今回から)

*他に公表された名前(そのうち一名が法廷の檀上横に座席)

裁判官 杉山順一  

裁判官 大寄 久

裁判官 園部直子

書記官 沼田慎平

吉備さん代理人弁護士 6名
日航側代理人弁護士  3名
傍聴者30名以上ほぼ満席

【法廷報告】

​三宅弘弁護士から、吉備素子さんの本人による陳述書提出および、今回の情報開示請求の趣旨、「異常外力の着力点によって新たな事実を知った」ことや和解におけるその旨の前提条件が無かった等を簡単に説明した。
次に、吉備素子さん本人が立ち上がり、次のように陳述を始めたところ、土田昭彦裁判長から、いったん確認の静止があった。あらかじめ提出されていた書面を読み上げるだけだと思っていた様子であった。三宅弘弁護士から、書面は骨子であって、これに沿って付け足したいという本人の希望を伝えた。土田裁判長は、あまり時間が取れないのだが、と言ったが、そんなに長くはないと三宅弁護士が答えて、吉備さんの陳述が再開した。
吉備さんは、何も見ずに、自分の言葉で、法廷に響く大きな声で、堂々と陳述をされた。
以下、吉備素子さんのその場での本人陳述要旨
「土田昭彦裁判長、日航の弁護士、社員、傍聴の皆さん、私は38年前に、遺体安置所で様々なことを見聞きしました。なんで?どうして?これはなんなの?といった疑問だらけけで、高木日航社長にも、運輸省の人にも、会いました。群馬県の河村本部長の言葉も不思議でした。まだ墜落原因もわからない時に、いきなり和解の同意を求められました。その際は、遺族にはお金がなくて大変な状況の人もいる。一家の大黒柱を失い、明日の生活に困る人もいる。そういう大変な状況は、自分も同じで理解できるので、取り急ぎ、お金のことだけは和解に同意した。それが和解という意味です。
しかし、その後もなんで?どうして?の疑問が払しょくできないまま月日が経ち、今から十年以上前に青山透子さんの本と出会い、すぐに出版社に自分から会いに言って、今までの疑問をすべて話をしました。その後、次々と5冊も本を書いてくれて、本当に感謝しています。長年の疑問が解ける思いでした。そこで、直接、日航にボイスレコーダーを聞かせてくれと言ったら、拒否されたのです。しかたがないから、裁判という形で訴えることになりました。
今、私は一人で裁判を行っていますが、多くの遺族の本心は私に伝わっています。他の遺族は、ただここに出てくることでまた精神的な負担や、困難があるので、出来ないだけなのです。そのあたりを十分にくみ取ってあげてください。今回の裁判で一緒に出てくれると言った市原さんも結果的には取り下げることになってしまい、辛い思いをさせたのではないだろうかと、自分を責める思いでした。でも本当に市原さんには感謝しています。そういう遺族が後ろに大勢いるのです。その気持ちも併せて、受け止めて頂きたいのです。十分に審議を尽くして頂けますようお願い申し上げます」
吉備さんの言葉に、今回も思わず拍手がおきた。
さすがに、土田裁判長は拍手が止むまで待っていた。そして静粛にするように促した。
 
その後裁判長が、日航側代理人弁護士に何かいいたいことがあるか、と確認をした。
日航側弁護士は、今まで十分意見を述べてきたのでこれ以上は何もない、と答えた。
そのあと、裁判官同士、秘書官を呼び寄せて話をしていた。
5分後ぐらいに、裁判長が、これで結審をします。判決は2023年6月1日午後1時半からです、と述べた。二度ほど日程の確認を行った。
以上、裁判報告です。
次回は6月1日 午後1時半より判決となります。
裁判官は、国民の目線で法に仕える法の番人です。いかなる理由が発生しようとも、人として人間として判断すべきであり、組織や特定の企業の言いなりであってはなりません。
土田裁判長は良心に基づき歴史に残る記録として、本物のエリートとしての役割を果たしていただきたいと強く願います。
青山透子氏の「JAL裁判」からの一節を引用します。
「まっとうな判決を書く人間が、エリートにならなければならない。まっとうではない人間がエリートを名乗り、判決を下してはならないのである(p244)」
38年前、吉備素子さんがご主人のバラバラ遺体を必死に探している最中に、遺体の取り扱いがひどいと訴えて運輸省(当時)に行った際、対応した官僚が何を勘違いしたのか、いきなり「自分は東大法科を出たから、いくら裁判をしても無理だ」と威圧的に言った人物がいた。その人が今も生きているなら、その意味は一体なんだったのか、その愚かな発言を遺族に心から謝罪すべきである。
つまり「東大の法学部を出ている人間は、隠蔽に加担するのが当たり前だ」と解釈されるこの発言は、学歴を悪意に利用するエリート気取りの人間であって、それは本物のエリートではないのである。
皆さん、マスコミがいくら無視しようとも、判決がどうでるか、注目いたしましょう。
日本の良心に期待しましょう。
 
*********
次回は 4月11日(火)午後4時~(法廷は当日確認ください)

この日、吉備さん側から準備書面を提出し終結予定となります。日航側はすでに出したということで、従来と同じ答弁で終わりです。吉備さんの生の声の最後の陳述をぜひ傍聴してください。

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令和5年(ネ)第4966号ボイスレコーダー等開示請求控訴事件
控訴人  吉備素子
被控訴人 日本航空株式会社


第一回期日報告 
令和5年2月21日午後2時~2時40分
裁判長 土田昭彦

裁判官 森岡礼子(右陪席)

裁判官 榎本光宏(左陪席)

裁判官 園部直子

裁判官 糸井淳一

書記官 関口敬太 


補足説明:真ん中の裁判長は土田昭彦裁判長 裁判長の右手側(右陪席)が女性、左側(左陪席)が男性でしたが、表の張り紙には、それぞれダブルで書いてあり、また、日航側の席の前に男性が一人座っていました。
【法廷報告】

まず、冒頭から、5名の弁護団に囲まれて座った吉備素子さんの本人陳述が10分ほどありました。

マイクが入っていないにもかかわらず、吉備さんは大きく明瞭な声で、訴訟に至った経緯、疑問点などを述べられました。この下に全文を掲載いたします。遺族としての当然の権利であること、不明な点を明らかにする義務が、当時半官半民の日本航空にあること、東京地方裁判所での判決のおかしな点について、堂々と述べられました。思わず法廷から拍手が出るほどでした。

その後、三宅弘弁護士から、詳細な控訴理由が20分ぐらいありました。

主として、異常外力の着力点の説明、自衛隊機2機の追尾状況、後部圧力隔壁説の推定のみの事故調査報告書への疑問、ボイスレコーダーの空白部分および不足する部分を明確にしなければならないということを図表をもとに説明を行いました。迫力溢れる答弁であったのは、その場にいた誰もが感じたことです。

日航側弁護士も頭を抱えるほどでした。

これらに対して、日航側代理人弁護士は、反論することもなく、既に提出した通りですと答えるにとどまりました。

3人の裁判官は、審議をするということで突然立ち上がり、後ろのドアから出ていき、10分ぐらい姿が見えなくなり、バックヤードにて審議を行いました。

その後3名が裁判官席に戻り、裁判長はおもむろに、三宅弘弁護士対して「あと、どれぐらい必要か。」と聞き、三宅弘弁護士が「2か月ほど、学者の見識の論文も提出したいのですが」と答えたところ、裁判長は、いきなりタメ口となり、「え~そんなにいらないでしょう。学者のもいらないでしょう。先生がちょっと書けばいいでしょ(というような感じで)」発言。これには、法廷にいた傍聴者は、一瞬、誰もが目を丸くして驚く、という場面でした。

結局のところ、あと一回という感じになり、日航側代理人弁護士も異論無し、ということで、次回法廷が決定しました。

聞くところによれば、高裁はあまり審議したくない場合は、一回ぽっきりだそうですので、まだ少しはましなのでしょうか?


次回は 4月11日(火)午後4時~(法廷は当日確認ください)

この日、吉備さん側から準備書面を提出し終結予定となります。日航側はすでに出したということで、従来と同じ答弁で終わりです。

吉備さんの渾身の力を込めた陳述の最中、裁判長だけが、吉備さんのほうを一度も見ず、吉備さんが裁判長を見ても、目も合わせず、一体、どこを向いての裁判なのか、ものすごくわかりやすいほどでした。

皆さんの税金が、誰のための裁判なのか、このように使われているということを私たちは認識しなければなりません。

以下、吉備さんの陳述です(原文ママ)

私はこの度、東京地方裁判所の判決を不服とし、東京高等裁判所に控訴いたしました控訴人の吉備素子です。よろしくお願いいたします。

夫の吉備雅男は、墜落した日航123便の乗客でしたが、その体はことごとくバラバラでした。私が見つけてあげられたのは右手と背中の一部、足首だけでした。38年もの長い間、私はなぜ夫が、このようになってしまったのかと、ずっと疑問に思って生きてきました。そして、なぜ日本航空は遺族に対して、事故原因についてまったく説明をしなかったのか、今もなお、日航は公表された事故調査報告書の矛盾する多くの疑問に答えるどころか、ただ無視をするばかりです。

東京地方裁判所は、遺族は和解したからそれで終わり、ということ、日本航空は民間なので事故原因の調査に協力する必要がなく、情報開示は必要ないという判決でした。しかし、あの報告書は不十分であり、事故発生から墜落時まで機内の空気圧は平静であったことや、自衛隊2機が墜落した日航123便を追尾していたことなど、あとからわかったことも多く、結論も推定と書いています。

和解をした時には、遺族に対して日航は、事故調査報告書付録に書いてある「異常外力の着力点」なども一切説明せず、私はまったく知らされていませんでした。そのうえ結局、誰も責任をとらずに不起訴のままです。だからこそ、日航の持つフライトレコーダーなどの情報を開示してほしい、ボイスレコーダーを聞かせてほしいと言っているのです。

墜落事故当時、日航は半官半民で、国の税金が投入された国策の会社でした。今は民間だから情報を開示する必要もない、墜落原因の調査に協力する必要もない、という理由では納得できません。運輸安全委員会は、重要な証拠物のボイスレコーダーを日航に返却したと言います。なぜ、修理ミスを見逃した日航に返したのでしょうか。おかしなことに、それでも今も調査中といいながら、相模湾から機体の残骸を引き揚げようともしません。

私は、夫の体がなぜバラバラになったのか、なぜ死ななければならなかったのか、本当の事故原因が知りたいのです。

今日まで、墜落して死亡させた520人の命に対して、誰も責任をとっていません。これでよいはずはありません。私は遺族として、22人の外国人も含む520人の命の責任を明らかにしなければならないと思っています。私が生きているうちに日航の持つ情報を開示してほしいと思います。

公共交通機関であればこそ、日航は、墜落して死亡させた乗客の遺族に対して、誠実にすべてを開示すべきです。

この法廷で、十分に、しっかりと納得のいく審議を尽くしていただけますよう、心からお願いいたします。

夫吉備雅男の遺族 妻吉備素子

​上毛新聞2023年2月22日

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