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2021年8月11日 遺族不在のLED灯篭で流さず見るだけの会

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2021年8月12日報道関係者と23名の出席者、数名の遺族しかいない慰霊の園での慰霊祭

今年は、日本航空社長赤坂祐二氏は遺族を遠ざけ、異常なまで過敏に反応する日航の姿とそれに追従する上野村の役職者たちが際立った。赤坂社長は12日の午前中に登山をし、式典後の取材に対して、「事故の教訓を生かし安全安心の社会に実現に役立てるよう努力し続ける」という、コロナの答弁のようなことを語った(下記記事)。

訴訟についてのコメントの記載はない。報道各社のニュースにも訴訟についてはなく、下記11日付上毛新聞の吉備さんの記事だけである。

それにしても訴訟については、「訴状が届いていないのでコメントできない」と言って逃げ、訴状が届いて口頭弁論が始まっているにもかかわらず、コメントをせず、御巣鷹の尾根でも逃げた。それでなぜ、事故の教訓を生かせるのか疑問である。

事前登録制で、御巣鷹の尾根入山にも、通行許可証、厳重な検問を行う異常事態であった。

全てをコロナ禍のせいとするには、あまりにも見え透いた言い訳であることは、すぐわかる。いつから上野村は、日航の所有物になったのだろうか。故黒澤丈夫村長は、心から嘆くに違いない。村の尊厳ある独立を願っていたからである。

お金を出したものが勝つと言わんばかりに、墜落した航空会社が表向き全て仕切るという、そしてその背景に見え隠れするように国土交通省が指示を出す。これは前代未聞の地方自治の本旨を歪めた実態である。(憲法第92条)。なお、この意味は、ちゃんとした学校で勉強した高校生はすぐにわかるはずである。

わからないか、それともわかりたくないのは日航関係者だけだろう。

日航側は、御巣鷹の尾根一体の国有林を買い、公益財団法人「慰霊の園」として、上野村と日航が共同管理を行っており、形式上は、上野村長が理事長である。

報道関係者や入山者は、事前に日航の広報を通じて許可証をもらう。

そもそも、正当な根拠をもって自分たちが正しいと思うのであれば、赤坂社長は、きちんと報道関係者の前に出て、インタビューを受けるべきである。なぜならば、自ら語る公共交通機関の社長なのだから、その責任も含めて当然である。

 式典では、ロープで境界線が敷かれて、群馬県や国交省役人、警察、日航など23名が参加し、式典目録には部署のみで個人名はない。これは彼らの無責任さの表れといえる。昨年は同じコロナ禍でありながら、国土交通大臣も出席していた。

特に今回は、遺族同士が話が出来ぬように設定されていた。吉備さんに同意して、他の遺族も訴訟参加されたら困る、という発想であろうが、これは現在進行中の裁判への日航による過剰ともいえる対策である。それともまた日航が「追及したら怖い人が来る」という嘘を、遺族間や上野村村民に広めたのかもしれないが、この実態に、最も怒りを覚えたのは、521人の魂であろう。


 

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2021年8月11日 上毛新聞 吉備素子さんへのインタビュー記事

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英国人婚約者と共に結婚式を挙げるために帰国した日本人女性

  2021年1月 2 日掲載

「Osutaka-A Chronicle of Loss In the World’s Largest Single Plane Crash」

     The author of this book, Dr Christopher Hood (2018,Caradoc Books, p45, p300)     

 若い二人の写真は、ロンドンのテムズ川にかかる橋の上にて、二人で並んで写っているキンブル・ジョナサン・マシューズさん(享年28歳)と西口昌子さん(享年25歳)である。

 昌子さんは大阪市の出身で、ロンドンへピアノ留学をしていた際に、音楽という共通の趣味を通じてキンブルさんと知り合った。二人は英国と大阪のそれぞれの両親に紹介して日本と英国を行き来するようになった。

 1985年のあの日の3日前の8月9日、大阪において日本の伝統的な結婚式を挙げたいという希望を叶えるべく、キンブルさんは昔からの友人たちに別れを告げて、英国滞在を終えた昌子さんと共に大阪へ向かう。英国人両親は後から来る予定となっていた。その両親のために一足先に準備をしようと前もって行ったのである。二人は成田空港到着後そのまま大阪へ向かうはずだった。少なくとも英国人の両親はそう思っていた。しかし、なぜか二人は12日の123便に乗ってしまったのである。もしかすると、東京ディズニーランドがオープンしたから行ってみたかったのか、東京見物をしてから行こうと思ったのかはわからないが、英国で両親は既に大阪に到着していたと思い込んでいたので、まさか息子が突然に死んだ、それも上野村?群馬県の山の中で?という電話は間違い電話だと思った。日本のそれも地方の山の中の地名も地理も全く知らない中、さらに異国の地の不明な場所で亡くなったという日航ロンドン支店の職員からの電話である。それを受けた時の困惑と衝撃については、想像をはるかに超えて計り知れないものがあっただろう。

 その後長年にわたり、大阪の西口昌子さんの家族と交流をし続けた。

 お墓で僧侶と一緒に写っている写真はキンブル・マシューズさんの両親である。愛する二人の無念を想い、せめて一緒のお墓に埋葬してあげたいと、日本で二人のためのお墓を建てた後、法要の際に撮影した。西口家の仏壇にも二人並ぶ写真がある。

 この本では、2007年にロンドンのパブで、偶然にマシューズ夫妻の遺族係だった英国人の日航職員に出会った著者のクリストファー・フッド教授が、その後マシューズさんとつながり、大学で遺族の悲嘆について話をしてもらったことや、日航職員と遺族の対談と共に、その後何度か御巣鷹の尾根に一緒に登山した様子や当時の写真なども掲載されている。

 ご存知の通り2019年7月16日に日本でのシンポジウム「情報公開と知る権利―今こそ日航123便の公文書を問う」の際、その懇親会にクリストファー・フッド教授にも来て頂き、会場ではビデオメッセージで参加してもらった。

 国境を越えてあの世で夫婦となった二人を想い、私たちはもっともっと深くこの問題を考えていかなければならない。              

「 Osutaka」の本の 表紙は、御巣鷹の尾根にある二人の墓標

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