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【41年目の再調査を目指す活動】
忘れてはならない記憶がある。
この新聞記事は青山氏が41年前から保管してきたもので、茶色の変色が年月を物語る。この子どもたちの存在を忘れてはならないという戒めを込めて掲載する。
当時の上野村小学校の校長先生は、墜落現場となった小学生たちに「小さな目はみた」という文集を書かせ、「忘却の彼方に追いやってはならない」として、自分たちが見聞きしたことを記録として残した。これは非常に重要な記録文書である。ちょうどこの新聞記事に出ている年齢と同じくらいの上野村の小学生たちは、自分たちの村に墜落して亡くなった同年代の子どもたちのことを自分のことのように悲しみ、生存者の川上慶子さんに深く同情していた。彼女が生きていたことを心から喜んでいた。さらに、今まで見たこともない深夜に集まる自衛隊の驚くべき多数の車や空を飛ぶ飛行機の不思議な光景を見て、おばあさんが「戦争が始まった!」と言っていると、あらゆる事を手書きで書いた。
NHKに電話をして、自分たちの村に落ちたと言っても、テレビでは墜落場所不明、と報道されたことに不満だった、とも書いている。何のバイアスもかかっていない素直な作文である。
その文集には、大人たちが知らなければならない、大人たちが襟を正さなければならない事実が詳細に記されている。それをなかったことには出来ない。ましてや、ひっそりと無くしてしまえば、「忘却してはならない」ために必死に書いた当時の子どもたちまで、私たちは裏切ることになる。

実は、吉備会長の裁判開始後、この文集の展示が取り去らわれた。
日航安全啓発センターは書庫にしまい込んだ。
これが、隠蔽行為といわずになんというのだろうか。
自分たちの村人の証言を見せるという当たり前の行為が、現在の上野村村長には出来ないのだろうか。
自分たちの村に住む先人たちが遺したものをいとも簡単に隠していいのだろうか。
日航は、反省もなく、生データを返却されたことをいいことにして、次々と隠せば済むと思っているのだろうか。

以上は、上野村慰霊の園見学者、日航安全啓発センター見学者たちから当会に届いた声である。
当会では、この文集をもとにして広く一般に広める活動を行っている。また再調査を目指して署名活動も活発になってきた。
この日本における私たち一般市民は、公僕たる議員、知事、村長、そして墜落を起こした日本航空に対し、日本国民が隠蔽の権限を与えていないことを明記する。
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